蜂屋邦夫

「無為自然」は、人間にとって「どう生きるべきか」の指標となるものです。「自然」は「自ずから然り」、他からの影響を一切受けることなく、大昔からそれ自体がそのようであるさまを意味しています。「無為」はというと「なんら作為をしないこと」という意味になります。つまり「無為自然」は「なんら作為をせず、あるがままの状態」をいいます。 『老子』の第三十七章に、「無為而無不為」とあります。 「作為的なことはなにもしていないのに、すべてを為している」とは、どういう状態か。天地を例にして考えてみると、天や地は意思をもたないから常に「無為」の状態といえますが、無為でありながらも、その働きは常にこの世界全体に行きわたっています。季節はめぐり、太陽は大地を照らし、雲は雨を降らし、大地の上では植物や虫や動物がそれらの恩恵を受けて育っていく。つまり「なにかをしようとわざわざ考えずとも、天地はすべてのことを為している」ということになるわけです。 そう考えていくと、「無為」とは、意図や意思、主観をすべて捨て去って、天地自然の働きに身を任せて生きているありようを意味しているといえます。『老子』はこの「無為自然」を理想のあり方としました。